本格的な春 ( LE PRINTEMPS )

春は3月20日の“春分の日”(le Printemps)にやって来ます。祭日扱いではないので、お休みではありませんが、この日を期して本当に春らしくなります。寒くて暗い冬が長いだけに春の歓びが大きく感じられます。3月29日の日曜日午前2時は3時へ進んで“夏時間”(l’heure d’ete)となり、日本との時差は7時間、当地の午前9時は7時間を足して、日本は既に午後4時ですから、間違わないように注意しましょう。
今年の復活祭(les Paques)は4月12日です。復活祭はキリストの復活を祝う宗教的な祭日で必ず日曜日、翌日の月曜日は振替え休日となりますが、移動祭日ですから毎年日付が異なります。学校は地区にもよりますが、パリは復活祭前日の4月11日から26日迄2週間の春休みです。春も華やぐのが、この復活祭の頃です。

*ヴァラドンユトリロ展  ( UN GRAND EXPOSITION VALADON UTRILLO )
モンマルトルのミューズ“シュザンヌ”と呼ばれたヴァラドンの本名はマリー・クレマンティーヌ・ヴァラドン(Marie-Clementine VALADON)(1867-1938)。父親の名も知らず、洗濯女を母として生まれ、幼い頃から、お針子、サーカスの踊り子、モデルなどをして生計を立てていましたが、男好きのする容姿はロートレックルノワールなど絵描き達を魅了し、時にはモデル以上の親しい関係を結ぶうちに、次第に自分も画を描くことを学んでいきました。ドガの作品“湯上り”(Apres le bain)の裸婦はシュザンヌをモデルに描かれ、ドガに励まされてシュザンヌ自身も同名の作品(1908)を描いています。16才の時に男の子を出産、モーリスと名付けましたが、子育てには無関心で、もっぱら子供は母親に預けたまま、相も変らぬ毎日を送りました。この子も父親が判らず、8才になった時、シュザンヌの当時の愛人ミゲル・ユトリロから名前を授かり、後のモンマルトルの巨匠モーリス・ユトリロ(Maurice UTRILLO)(1883-1955)になるのです。母親を愛しながらも相手にされず、精神的にも不安定な生活にあったユトリロは、14才の頃から早くもアル中となり、病院の入退院を繰り返しますが、やっと息子を思うようになった母親の愛人の配慮で21才の頃にクレディ・リヨネ銀行に入社しますが、或る晩同僚を傘で殴って首となり、ヴァガボンドの生活に戻ります。やることが無くなって、何となく絵筆を持ち、普通には絵にもならない寂れた裏通りや狭い石段、坂道などを好んで描いたのは、人間不信の表われと云われます。モンマルトルの酒場で大声で唄い、酒を飲んでは絵を描き続けたのも、酒代を稼ぐに他なりませんでした。或る日の散歩で知り合い、気が合って唯一人の飲み友達となった2才年下のアンドレ・ユテル(Andre Utter)を母親に紹介したところ、母親がひと目惚れして愛人としてしまったことには大いにショックを受け、更にアルコールに溺れますが、既にその頃には描けば描くほど絵が売れるようになって、狂気の如くに次々絵を描いていきました。今でもPlace blanche(白い広場)の名が残っているモンマルトルの石膏の採掘場に行き、家の壁の質感に迫ろうとして絵の具に石膏や砂を混ぜるようになり、後の“白の時代”(Periode blanche)を迎えますが、休みなく安酒をあおっては描き、居酒屋と病院で過ごす毎日でした。息子の絵が売れるようになってシュザンヌはモンマルトルに家を買いますが、彼女はその家を « le jardin de la rue Cortot »と題した作品に残しています。母子とも何らの理論もなく、いかなる流派にも属すことはなく、“我が町モンマルトル”を描き
続けました。1928年ユトリロ45才の時、フランスの誇る大家としてレジョン・ドヌール勲章を受け、1935年52才で母親が勧めた舞台女優のリュシー(Lucie Valore)と結婚、パリ郊外ヴェジネ(Vesinet)に住み、リュシーの愛情と涙ぐましい努力に酒量は減ったとはいえアル中は完治することなく、 « une cuite par jour, un chef-d’oeuvre par jour »(1日1回の酒、1日1枚の傑作“と云いながら、手は震えても、絵筆を持つ手は震えることなくお気に入りの縞のパジャマ姿で制作を続ける相変わらずの毎日でした。1955年、サシャ・ギトリィ(Sacha Guitry)が « Si Paris nous etait conte »(もしパリ語りなば)の撮影の為にユトリロをモンマルトルに連れ出しましたが、その2ヶ月後に亡くなりました。こんな波乱に富んだ生活を送った母子の作品を展示する稀な展覧会として今大変話題を呼んでいます。
2009年9月15日迄  毎日10時30−18時00 休館なし  入場料 9ユーロ
PINACOTHEQUE de Paris 28, Place de la Madeleine, 75008 Paris

パリに大洪水 ? ( UNE FORTE CRUE PARISIENNE ? )
100年に1度起こると云われるセーヌ河の氾濫は、1910年にはパリ中が洪水に襲われ、停電や交通機関が止るなどで大混乱を招きました。2010年頃に起こるとすれば、1200万人の市民が犠牲者となり、電気・ガス、メトロやバス、地下のカーヴやパーキング、空調装置などがマヒして一大パニックとなることは間違いありません。消防庁を始めとして関係
各省、区役所等が対策に大わらわとの事です。
一方パリ市では、パリ16区にあるPavillon de l’eauにて、セーヌ河を水路として、飲料水として、どのように扱っているか、貯水、浄水、排水、配水、等々を写真や模型、機材を
展示して、子供にも解り易いように説明しています。入場無料 www.pavillondeleau.fr

フランスのサンドイッチ  ( SANDWICHES BAGUETTE )
最近のGira Conseil社の調査によりますと、ECではフランスだけが相変わらずバゲットのサンドイッチの売上げが全体の72%と、アメリカン・スタイルのハンバーガーの売上を遥かに上回り、パリでの平均価格は3,27ユーロ、ジャンボン・ブール(jambon-beurre)(ハム・バター)が全国で1日に220万本売れているそうです。 特に若い人達は« simplifier la vie. Manger sain,vite,moins cher »“生活を簡単に, 健康的に早く安く食べよう”をモットーに、嘗て昼食には平均1時間38分程を要したものが、今では平均で31分、昼休みの残りの30分はお喋りやウインドー・ショッピングに費やすそうです。

*2009年3月30日     日の出 07時32分  −  日の入 20時17分
パリ 朝夕 2℃・日中 12℃ 曇天  ・  ニース 朝夕 10℃・日中 16℃ 曇天

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