メトロの父 ビヤンヴニュ ( BIENVENUE, LE PERE DU METRO )

メトロのモンパルナス駅は正式には<モンパルナス・ビヤンヴニュ>(Montparnasse -Bienvenue)という長い名前。これはパリのメトロの建設者フルジャンス・ビヤンヴニュ(Fulgence Bienvenue(1852-1936))を記念して、彼の故郷ブルターニュから来る汽車の終着駅 “モンパルナス”の名に付け加えたものです。当駅周辺には今でもブルターニュ出身の人が多く住んでいますから、名物“クレープ”を食べさせるレストランが並んでいます。さて、公証人を父に13番目の子供に生まれたフルジャンスは土木工学を学び、その才能をかわれて鉄道建設の仕事を任され、大都会パリの市内を縦横無尽に行き来できる鉄道網を理想として、実現の為には地下を通すしか方法は無いものと結論したのです。建設途上で列車から振り落とされて左腕を失う事故に遭いましたが、不屈の精神を持つ彼は46才の時にメトロ(le chemin de fer metropolitain)の総監督に任命され、1900年のパリ万博開催の機会に開通させるべく突貫工事をやり遂げました。1863年ロンドンの地下鉄が一足お先に開通したことは人々に伝わっていましたが、いざ市内各所で大掛かりな工事が始まるとパリッ子達は“音が煩い、埃がひどい、道路が使えない、云々”不平タラタラ、大きな不満を表しました。<新しいものは何でも批判されるものだ。だから、新聞の云う事など決して信じてはならない。>(Tout ce qui est nouveau attire les critiques, il ne faut toujours pas croire ce que disent les journaux.) 1900年7月14日のパリ祭には惜しくも間に合わず同19日最初のメトロ1号線ヴァンセンヌ−マイヨ間(Vincennes−Maillot)10,33kmが開通しました。その後10月にエトワール−トロカデロ間、12月にはエトワール−ドーフィヌ間など次々に開通して、都会に相応しい画期的な交通機関として好評を得て、パリッ子にとっては不可欠な乗り物となって今日に至っています。